ジャック・ドラゴン(Contributor)
本誌9月号巻頭で(龍)さんは、トコジラミのリサージェンス(再発)について、IPMには反するけれど「強力な殺虫剤で一網打尽にしたいのが本音だろう」と言っています。そんな、とんでもないことをとお思いかもしれませんが、この話はあながち根拠のないことではないのです。
と言いますのは、いまからほとんど10年前、ペストマネジメント2000(NPMA年次大会、現在のペストワールド)に参加する日本人の一団が、旅行中の川EIをサンフランシスコに立ち寄るところまで遡ります。地元のペストコントロール業界の第一人者ハロルド・スタインJrさんが経営する全米50位、年間売上額約10億円(当時)のクレーン・ペストコントロール社注1を見学させてもらったのです。
スタインさんのお話は「サンフランシスコ市とその他の州における叩M」でした。当時の日本の方達には、市街化地域のrMについて一定の認識がないときですから、それこそ皆さん真剣に学ばれました。
DDTとトコジラミ
そのとき彼が言いたかったのは 「DDTのように安全性の高い薬剤でも、塩素系の有機化合物だからという理由だけで、使用禁止にしてしまってよいはずは無い」ということでした。ほんの少し前、彼がまだ一一線で活躍中の頃は、トコジラミの駆除にDDTが特効薬として珍重されたそうです。
「ホテルのI室あたり18ドルいただいて、ベッドの縫い目にDDT粉剤をほんのひとつまみすり込むだけで、30日間ギャランティするのさ」とうそぶくPCOも多かった1970年代初頭の頃の話です。
当時、NPCA(現NPMA)の会長職にあったスタインさんは、その使用禁止に強硬に反対を唱えましたが容れられませんでした。「毒性も残留性も強いディルドリン、アルドリン、エンドリン、ヘプタクロール、クロールデンなどの塩素系薬剤ならともかく、DDTのように残留性は大きいけれども人体毒性が緩和なものや、BHCのようにそれほど長く残留せず人畜毒性も低いものまでを、ひとからげにして禁止してしまうのは科学的とは言えない」というのがスタインさんの主張です。防除業に科学的な考えを取り入れた功績が評価され、後に「PCOの殿堂」入りという栄誉が与えられることになります。
口本政府が塩素系殺虫剤の使用中止に踏み出しだのは1971年のことです。ただし、シロアリ防除用に多用されていたクロールデンだけは、特例として85年までの使用が許されました。
しかし、PCBやダイオキシンなどいわゆるPOPS注2の安全性が問われ始めた頃ですから、有機塩素系殺虫剤の使用中止も当然のことと考えられたのです。 しかし、DDTの急性的な毒性に問題のないことは判っていたので、日本の厚労省にあたるUSDHW(現USDHHS ; 米国ヒューマンヘルスサービス省)は、いまでこそリストから除外しましたが、つい最近まで学童のアタマジラミ防除用医薬品としての登録を取り消しませんでした。同様に、CDC(米国疾病対策センター)はBHCの7つの異性体のうち、アーBHC(リンデン)をI%含有するシャンプー剤を、有機リン剤マラソンを0.5%含有するローションとともに(双方とも処方施薬)推奨しています。OTC医薬品としてドラッグストアやファーマシーなどで購入できるピレトリンやペルメトリン製剤などで根治出来ないときに、この処方釜薬が役立つことになるのです。
また、WHO(国連保健機構)はDDTのリスクアンドペネフィットを慎重に検討した結果、アフリカ地域のマラリア防除に、屋内での壁面や天井面への残留噴霧に限定して使用を続けると、2006年9月に宣言しています。
上述のように、日本も71年に医薬品としての有機塩素剤を全面的に使用中止にしたのですが、リンデンだけは痴癖症の原囚になるヒゼンダニ防除用処方薬として、皮膚科専門医が軟膏などに加工して、いまも治療に用いると聞いています。
これらの例に見るように、一般には使われなくなった殺虫剤が、極めてマイナーな適応で生かされているケースがあります。筆者はこれもIPMの一例と考えているのです。
マイナーユース殺虫剤
トコジラミ、アタマジラミやヒゼンダニ防除用の薬といえば、なんとまあマイナーな分野とお思いでしょう。 しかし私とすれば、このような分野で研究を続けていただく方達のおかげで、衛生的な快適な生活環境が保たれていることに感謝の思いがあるのです。
日本ではここ数年の環境衛生用殺虫剤の年問生産額が1960年代のそれに比べて、半減どころか3割にも満たないのではないかといわれます。もともとそれほど大きな業界ではなかったのですが、55年に厚生省(当事)が提唱した「蚊とハエのいない生活実践運動」の閣議決定にともなって、需要が急激に伸びだしたといわれています。
「伝染病予防法」のもとで蚊やハエの発生源ヘダイアジノン、バイテックス、スミチオンなどの有機リン剤が大量に投与されました。市町村が組織するいわゆる衛生班組織により、平常時の定期的な殺虫剤散布が行われていました。当時の記録によれば、これら3種の原末座ミ薬品では現末という)が年間それぞれ100トンほど消費されたそうです。
その後、日本では市街化か急速に進み、上下水道など社会資本の充実とともに害虫防除の方向が、衛生害虫から生活害虫防除へと変わって行きます。その結果、感染症(伝染病等)媒介昆虫用殺虫剤の需要が極端に減少しだのは、士。に見るとおりです。一方、米国の環境衛生用殺虫剤 (パブリックユース殺虫剤)も、需要が小さいいわゆるマイナーユース殺虫剤として、同様の経過をたどるのです。
このような状況下でウェストナイル熱が01年にニューヨークに突発します。しかし、急場をしのぐための殺虫剤はマラソン粉剤くらいしかありませんでした。アメリカではパブリックユースもアグリカルチュラルユース(農薬)もFIFRA(連邦殺虫剤殺菌剤殺鼠剤法)のもとにEPAが登録にあたります。ウェストナイル熱が50州の脅威になっている現在、EPAはパブリックユース殺虫剤の開発が進まないことを危惧して、マイナーユース・ペスティサイド開発費援助制度を、環境衛生用薬剤にも適用しようと考えています。
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承認制度改革への提案
ちなみに、大農業国アメリカで採算の合う農薬とは、小麦、大豆、トウモロコシそして綿に使う農薬のことです。これに対してマイナーユース・ペスティサイドとは、作付面積が30万エーカー(約12万町歩)に満たない作物に使う農薬と定義されています。
そのような需要の少ない殺虫剤開発では、世界で最も厳しい審査機関のひとつとされる、EPAの要求に適う引膨大な登録申請資料を作成するのは並大抵のことではありません。開発企業にとっておいそれと負担できる経費ではないのです。
化学物質規制の国際的なハーモナイゼーションの波を受けて、日本における農薬登録制度は欧米に引けをとらない大変に厳しいものになっています。そのうえ、日本では同じ化学物質を有効成分とする防除用の薬剤が、使用目的と対象害虫別に、医薬品になったり農薬として扱われたりと、行政の区分によって異なるのはご承知のことと思います。
その一方、今年6月に施行された改正薬事法は、医薬品殺虫剤を第2類医薬品にし、他のOTC医薬品と同様に、「登録販売者」が薬剤師に代わって販売できることになりました。同時に、医薬部外品の定義が変更され、いままでは生活害虫として扱われていだ不快害虫”類も、薬事法の適用害虫として扱われることになるようにも読めるのです。
医薬品もしくは医薬部外品の主成分のほとんどは農薬からの転用です。ならば、農薬として厳しい審査を経てきた殺虫剤を、衛生害虫にも使えるようにする。つまりは農業用殺虫剤の適用害虫拡大が本来の姿と言えるのではないでしょうか。承認制度の改革(薬剤の一元管理)で、開発費の負担が随分と軽減でき、薬剤を使う側の便も図れるでしょう。
市街化地域のIPMで使われる殺虫剤は、そもそもマイナーユースの域を出るものではないからです。