ヒトスジシマカの移動距離を調べる

兵庫県立大学自然・環境科学研究所 / 兵庫県立人と自然の博物館 山内健生

 ヒトスジシマカ(写真1)は、市街地に生息し、明るい時間帯に吸血するため、目にすることの多い蚊です。この蚊は、デング熱やジカウイルス感染症を媒介できるため、ベクター(感染症媒介動物)としても重要です。ところで、蚊の発生源となる水たまりが見当たらないのに、ヒトスジシマカによく刺される場所がたまにありますね。いったい、どこから蚊が湧いてくるのでしょうか。蚊には2枚の翅がありますから、空を飛んで移動できるはずです。ということは、どこか別の場所からヒトスジシマカが飛んで来ているのでしょうか。そもそも、蚊は、どれくらいの距離を飛んでくるものなのでしょうか。

 蚊の移動距離を知ることは、蚊の駆除や蚊媒介感染症対策のためにも大切です。ですので、蚊の移動距離について過去にいろいろな研究がなされてきました。蚊の移動距離を調べるためには、標識再捕獲法(mark-recapture)を用いることが多いようです。この調査法は、蚊に印をつけて放し、一定時間が経った後に再び捕獲することで、放してから捕獲するまでの蚊の移動距離などを調べるというものです。標識再捕獲法を用いた研究によって、ネッタイイエカは1,000m程度、ヒトスジシマカについては少なくとも70m程度移動することが知られています。しかし、実際に野外で蚊の移動距離を調べた研究は多くありません。標識再捕獲法は、蚊がたくさん採れる場所でなければできない調査法で、しかも相当な労力がかかるので、実際の研究例は少ないのです。

 先日、某研究所のT先生を中心に、西日本の某県で、標識再捕獲法によってヒトスジシマカの移動距離を調べる調査が行われました。滅多にない機会ですので、私も調査メンバーの末席に加えていただきました。いささか前フリが長くなりましがた、今回は、その時の調査について書いてみたいと思います。

 標識再捕獲法では、再捕獲された個体数が少なすぎると移動距離などを推定できません。ですので、できるだけ多くの個体に印をつけて放す必要があります。そこで、まずは、調査地の墓地でヒトスジシマカのボウフラを大量に集め、それらのボウフラを育てて親にし、しばらく飼育するという作業が行われました。羽化したばかりの蚊は吸血意欲が低いので、しばらく飼育する必要があるのです。実際に飼育作業を行ったのは、T先生と若手のMさんで、現地にしばらく泊まり込み、調査の実施に向けて、来る日も来る日も大量のボウフラと蚊の世話を続けられたそうです。

 飼育していた蚊が調査に使える状態になったら、蚊に印をつけます。今回は、飼育容器の外から蛍光塗料の入った赤い色素を蚊に向けて霧吹きで吹きかけ、数百個体の蚊に印をつけました(写真2)。赤い色素を蚊に吹きかけると、みるみる蚊が赤く染まり、飼育容器の床部に落ちていきます。蚊が濡れて飛べなくなったのです。しかし、しばらくすると、色素が乾き、赤く染まった蚊は何事も無かったかのように飼育容器の中を飛び回るようになります。これで調査に使用する蚊の準備が整いました。

 いよいよ調査開始です。夕暮れを待って、色素をまとったヒトスジシマカが入った容器を誰もいない墓地の片隅へ運びました。容器の中からは「ブーン」という元気な蚊の羽音が聞こえ、活発に飛翔していることがわかります。午後7時、容器の口を開き、中の蚊を外へと放ちました。放った瞬間、自由になった蚊の群れが近くにいる吸血源(我々)めがけて猛烈な勢いで襲いかかってきます。もちろん、これらの蚊は大切な実験材料ですので叩いて殺すわけにはいきません。全員で一目散に避難したことは言うまでもありません。

 翌日からの4日間は、人オトリ法による蚊の再捕獲調査です。蚊を放った墓地を中心に、約20地点の調査地点が設定されました。これらの地点で手分けして蚊を採集するので、1人当たりの持ち場は、4~5地点となります。それぞれの調査地点では、オトリとなった調査者が8分間ほど立って、自分の周りへやってくる蚊を捕虫網で採集しました。もちろん、血を吸われる前に採集するのです。飛んでくる蚊が赤い色素のついた蚊なのかどうかは、見ただけではよくわかりませんので、とにかく飛んできた蚊をすべて採集します。ある日、工事現場近くの調査地点で捕虫網を振っていると、工事現場で作業をしていた年配の男性に声をかけられました。不審に思われるかなと心配していたところ、「蚊を採っているんでしょ。この前、テレビで見たよ」とのこと。数ヶ月前、我々のチームの調査がこの地方のニュース番組に取り上げられたことが功を奏しました。こんなふうに役立つのならテレビ出演も悪くないですね。

 採集した蚊が再捕獲個体かどうかを確かめるためには、ろ紙の上に採集した蚊の死体を並べ、エタノールを1滴ずつ垂らします。色素のついた蚊にエタノールを垂らすと、色素が溶け出して蚊の周囲のろ紙が赤く染まるのです(写真3)。

 この時が、標識再捕獲調査で一番楽しみな、ワクワクする瞬間です。蚊を放った地点の近くでは再捕獲個体がたくさん採れますが、その他の地点ではなかなか採れません。それなのに、かなり離れた地点で再捕獲個体が1個体だけ採れることがあり、なぜその地点で採れたのか、あーでもないこーでもないと調査メンバーで議論します。どれくらい離れた場所で再捕獲されるかは、正直なところ実際に調査してみなければわかりません。紙面の都合もあるので詳しい調査結果をここに書けませんが、蚊の気持ちになってあれこれ思いを巡らした4日間でした。

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