名和昆虫博物館 名和 哲夫
【給食にウジ虫が………】
「80℃くらいに熱しても生きている虫っていますか?」
昼前にかかってきた電話の相手は、少し元気のない声で、いきなりそう尋ねます。
「うーーん、熱するものやら熱し方にもよると思いますが、普通は、考えにくいですね。どうしたんですか?」
「実は、うちは学校給食用の食材を卸している業者ですが、それを使った料理にうじ虫がついていて、困っているんです。」
「生きていたんですか?」と私。
「食べようとした子どもが、動いている虫に気づいたんです。」
「素材はなんですか?」
「イカです。うちで冷凍したものを解凍して給食センターに運んで、そこで調理して学校に運び、配膳して出すんですが、食べようとした子が見つけたそうです。『イカのタレ焼き』という料理で、イカの切り身をタレにつけて約80℃の温度で表面を焼いているんです。冷凍保存していたイカを前の晩からゆっくり解凍して、朝給食センターに持ち込んだもので、給食センターから、解凍したときに卵が産みつけられたんだろう、と言われているんです。」
電話の相手は、一気に説明してきます。
「とにかく、見てみないと何とも言えません。」ということで、午後2時に担当の方がビニール袋の中に「イカのタレ焼き」を入れたものを持って訪れました。それは、厚さ約1cmで5cm角くらいのイカの切り身に、格子状に切れ目を入れてタレをつけて焼いたものでした。芯まで火が通っている感じではありません。よく見ると、体長7、8ミリのうごめくものが認められます。確かにウジで、3頭確認できました。
「うーーん、これは子どもにとってもちょっと気持ち悪かったでしょうね。」と思わず言ってしまいました。
「昨日の午後4時頃、給食センターから持ち込まれて、ひどく叱られました。今後の関係にも影響が出そうです。」と困り切った様子。
とにかく種類を調べてみないと、何とも言えないので、そのまま預かって、その夜に落ち着いて調べることにしました。
【幼虫の正体】
その日の夜、11時を回った頃、実体顕微鏡を使って虫を調べてみました。体長約8ミリ、心なしか、業者さんが持ってきた頃より少し大きくなっているような………。
ハエの仲間の幼虫は、頭部が退化して不明瞭で、半透明な体の中に黒い骨格(咽頭骨格)がある方が頭側です。幼虫の種類の判定は、その骨格の形の他、前方気門、後方気門の形態などでなされますが、何せ膨大な種類数を誇るグループで、「幼虫と成虫の関係が判明している種は少ない」と図鑑に書いてあるほどなので、種まで特定はできないかもしれないと、預かったときから思っていました。もちろんその旨は、先方にも伝えてあります。ただ、何の仲間かぐらいが分かれば、その業者さんにとって、少しでも有利な状況になるかもしれないと調べていきました。
調べ始めて間もなく、ニクバエの仲間に間違いないことがわかりました。この時点で、持ち込んだ業者さんにとって、がぜん有利になってきました。できれば種までと深夜2時過ぎまで調べましたが、センチニクバエかシリグロニクバエかというところまでしかわかりませんでした。後方気門の裂孔数が2本だったため、2齢幼虫であることがわかりました。ちなみに、ニクバエの幼虫は3齢が終齢で、後方気門の裂孔数は、1齢で1本、2齢で2本、3齢で3本なので齢期はすぐにわかります。
【みるみる大きくなる】
翌日朝、業者さんに電話をして、ニクバエの幼虫であることを伝えました。この情報が業者さんにとって、有利であるということがまだ、ピンとこない様子でした。電話で説明するのも大変なので、またこちらに来てもらうことにしました。
担当の方が来られた時にこの幼虫を見せると、もう12ミリくらいになっていて、さすがに驚いていました。
「実は、ニクバエの仲間の多くは卵胎生で、メスの腹部から出てくるのは、1齢幼虫です。」
「え?どういうことですか?」と担当者。
「つまり、成虫のハエが止まって産みつけるのが卵ではなく、メスの体の中で孵化した幼虫をいきなり産みつけるのです。だから、卵の期間は見かけ上はありません。」
「ということは………。」
「そうです。このウジがどの時点でこのイカについたかということを考え直す必要があるということです。もう一度、時間を追って説明してください。」
担当の方の説明をまとめると、以下のようになります。
6月22日夜:イカを冷凍庫から出して解凍する。
6月23日早朝:イカを切り身にする。
6月23日(8時頃):給食センターに納める。その後給食センターにてタレをつけて80℃で焼き、学校に納める。
6月23日10時くらいから学校の給食室にて分ける作業。12時くらいに子どもの前にイカのたれ焼きが置かれる。
6月23日(12時頃):学校給食で発見。イカが嫌いな子が食べられなくて眺めていると、動くものに気付き、それがどうもウジらしいということでちょっとした騒ぎに。その時の大きさは、2~3ミリくらいだったと聞かされたとのこと。
6月23日(16時頃):その業者さんのところに問題のイカの切り身とウジが給食センター経由で持ち込まれる。この時点で、幼虫のサイズは、4~5ミリくらいだったとのこと。
6月24日(14時頃):当博物館に持ち込まれた。幼虫のサイズは7~8ミリ。
【どこで産みつけられたか?】
この経過とニクバエの生態から、一つ確実に言えることがあります。それは、決してイカの切り身の納入業者さんだけが犯人に疑われるべきではないということです。給食センター、学校ともに可能性があるということになります。というより、ウジが生きていたのですから、焼いた後に幼虫が産みつけられたという方が可能性が高いと考えるのが順当でしょう。この仲間の幼虫の成長は驚くほど速いので、その業者さんは、かなりの確率で、冤罪と言えます。
しかし、その後具合が悪くなった子はいないし(このウジを食べて腸に達したときに生きていると、腹痛などをひきおこす消化器ハエ症になることがある)、今さら現場検証もできないし、犯人探しをしても今後の予防策として画期的な方法が見つかるわけでもなさそうなので、とにかくその業者さんの名誉を回復すべく、給食センターに相談に言ったらどうですかということで、担当の方も納得して帰って行かれました。
【その後】
数日後、担当者の方から電話があり、先方もいきなり幼虫をうみつけるハエがいるということを聞いて、大変驚き、3者ともに可能性があることを認め、事なきを得たようです。
【重大な事例かそうでない事例か】
O-157などの細菌やノロウイルスのように感染するもので、重篤な症状になるような相手だったら大問題ですが、今回のように万一食べてしまっても、他の人に感染ということのない件で、重篤な症状になることが稀なのに大騒ぎをすると、やっても効果のない消毒を形式的にする可能性があるなど、弊害の方が大きいと考えられます。なにせ、ニクバエなどはどこにでもいる普通のハエなので、配膳するまでにそのようなハエが寄り付かないように気をつけることしかできないでしょう。何より、このような質問が当博物館に寄せられることがほとんどないという事実が、この程度に納めてもいい事例と考えられます。
ただ、最近の世の中は、以前にも言いましたが、本当に潔癖さを求める方向に進んでいます。ひょっとしたら、今回の件を保護者が目の当たりにすると、猛烈に抗議する方もいるかもしれません。
虫たちは、隙間があればどこにでも入ってくるものだという認識を一般の人たちに持っていただきたいものです。