ジャック・ドラコン(Contributor)
■ポジティプリストについて
07年5月28日付け朝日新聞は、夕刊の1面トップに「シジミ 農薬に泣く」と題して、鳥取県の東郷池で採れる蜆から基準を上回る残留農薬が検出され、出荷できない状況が続いていると報じました。同様の例は宍道湖や琵琶湖でも、一時、漁が制限されたとしてその原因が池や湖に注ぐ河川の上流域で撒布された除草剤にあるとしています。
シジミはなぜ出荷できなかったのでしょうか。それは食品中に残留する農薬等の検出基準値が定められたポジティブリスト制度導入から、1年経った現在までシジミの残留基準が定められていなかったことにあります。個別の残留基準値が定められていない食品は何らかの農薬等が0.01ppm以上検出されたとき、流通が禁止されることになっているというのが出荷禁止の理由です。東郷池の睨には除草剤の成分が7倍もの0.07ppm含まれており、出荷すれば食品衛生法に違反することが明白です。
厚生労働省は野菜や穀類など、そのまま食べたり加工食品にしたりしたときの個々の農薬の残留については、それぞれ厳しい審査を行って基準値を定めたのですが、シジミなどまでには手が回らなかったというのが実情だそうです。農業に携わる人たちも、田植え時に撒布する除草剤が、河川水に流入しないように心がけているのですが、地域全体が一斉散布することに加え、大きな降雨があったりすればなかなかそうもいきません。
気をつけたい食品施設等での殺虫剤使用
さて、食品製造施設やレストランの厨房などでは、そこに運び込まれる食材には農薬等が基準を超えて残留していないことが確認されているはずです。それでは、それらの食材を使って加工された食品についてはどうでしょう。最終製品である加工食品には、原料の食材がもともと含んでいたと考えられる、基準値に達しない残留農薬等がごく微量ながら存在します。こうして最終加工品にまで残留することをキャリーオーバーと呼びます。
私たちPCOがIPMの手法に従って医薬品殺虫剤や農薬等を使って防除施工するとき、常に念頭に置かなくてはならないことのひとつがこのキャリーオーバーです。もし、あなたが施工に使った殺虫剤等が、基準値を超えて最終製品から検出されてしまうという、恐ろしい場面を想定してみてください。それが、その食材に本来は使われない薬剤だったら問題はもっと深刻です。
ちなみに0.01ppmの濃度とはどのくらいかといえば、広さにたとえるなら、1枚の葉書を100枚に切って、そのうちの1枚を甲子園球場のグランドに落としたときの濃度と思ってください。そんな微量でも分析機器や分析手法の進歩により、ここに掲げた例よりも、もっと少ない量でも測ることができるのです。
承認や登録を受けた用法ではないけれど、この程度の薬量なら検出されないに違いないなどと考えて施用し、あとで悔やんでも遅すぎます。もし食品衛生法や建築物衛生法に違反していることが判明すれば、顧客の逸失利益を補填しなければならないことはもとより、その顧客の信用を失うだけならまだしも、私たちの業界全体が社会的な制裁をも受けることになりかねません。
使ってよい薬剤を正しい使い方で
こうした事態を招かないようにするのはそんなに難しいことではありません。建築物衛生法下の施工物件であれば、必ず医薬品(医薬部外品)殺虫剤を用い、添付文書や容器の直接包装材料に印刷された、用法用量に従い使用上の注意を守るだけで事故を未然に防ぐことができるのです。
また、農薬等を用いる際にはそれぞれの適応作物(保護対象の植物や動物)と防除村象の病害虫(主成分が同じでもメーカーによって防除対象になっていないことがあるので留意が必要)および撒布時期と収穫するまでの適用(撒布)回数までを記載したラベルに従えばよいのです。農薬はMSDS制度の対象にされています。使用する農薬ごとのMSDSをよく読むことによって、防除担当者の安全確保に必要な要件や、取り扱いや輸送時の危険性(引火性や爆発性など)のほか、環境毒性などについても知ることができます。
さて、IPMでは事前の調査(インスペクション)が最も重視され、建築物衛生法でもこの点が強調されていることはご存知のとおりです。調査結果を詳しく分析することにより、初めてその標的昆虫等を防除するのに適した手法や薬剤等の選定が行われます。IPMにおける正しい化学的防除のためには、薬剤の適格な選定が欠かせません。法が認めた薬剤を、その薬剤の効果を十分に引き出すことができる用法に従って使用することは、われわれPCOに課せられた最低限の義務と考えられます。薬剤の用法用量を守り、使用上の注意を遵守するという、たったこれだけのことで安全な化学的防除ができるのです。そしてポジティブリスト制度にも安心して対処できることになるのです。
■環境問題にどう対処するか
IPMで化学的防除法を取り入れる際に、常に直面するのが殺虫剤等の環境に与える影響の有無でしょう。私たちが普段に使う殺虫剤等の殆どはもとはといえば農薬です。日本で承認される医薬品殺虫剤は、比較的長期間の使用歴がある農薬のなかから、人畜に対する作用が緩和なものが採用され、中でも毒性が低い製剤は医薬部外品に指定されています。
農薬の登録や医薬品殺虫剤の承認時の審査に関しては、日本は世界中でももっとも厳しい国のひとつです。また、日本ではその製剤の使用目途別に農水省、厚労省等が販売元に村して登録を与えまたは承認する形になっていますが、諸外国ではEPA(環境保護庁)がこうした薬剤の一元的管理をするのが一般的です。このような観点から、殺虫剤等が環境に影響する事実について2、3の例を挙げ、どのように解決してきたかを見てみましょう。
少し古い話になりますが、05年(平成17年)3月18日に開かれた第162回国会の参議院環境委員会で、フェンチオン(バイテックス)のタンチョウ鶴に対する安全性が問われました。農家で作る堆肥にウジが出るので、農薬登録のフェンチオン粒剤を撒布したところ、これを啄ばんだツルが死んだというものです。一方、当時厚生労働省でマニュアル作りが急がれていたウエストナイル熱対策に、蚊の防除薬として医薬品承認のフェンチオンも採用するとしていたことが問題になりました。ところが、いろいろ調べてみると、アメリカ等ではフェンチオンの鳥毒性にかんがみ、すでにその前年に屋外の蚊防除薬の登録を取り消しているのがわかり、日本の農水省と厚労省もこれに倣うことにしました。
さて、今年の4月24日付ニューヨークタイムズはミツバチのコロニーが失われていると、トップ記事で報じました。アメリカ養蜂協会によれば昨秋来、養蜂業者が保有する群れの約4分の1にものぼる何百万匹ものミツバチが巣に戻ってこなくなっているというのです。
GM(遺伝子組み換え)作物の蜜を吸ったからとか、携帯電話の中継アンテナのせいだとか、さらにはロシアやオサマ・ビン・ラーディンによる米国農産物への妨害説まで出る始末だったそうです。農務省のフォスター博士はこの現象をミツパテの「コロニー崩壊病」と名づけ、さまざまな研究機関に協力を要請しました。帰巣本能をなくしたミツパテのDNAが解析され、ウイルス、細菌または殺虫剤の影響が考えられました。カリフォルニアのアーモンド農家などは花粉媒介をミツバチにのみ頼っているので、被害も甚大です。
ミツバチコロニーの崩壊現象はついに27州にも及び、NAS(国立科学アカデミー)やウエストナイル熱のDNA研究などで高名な、コロンビア大学のリプキン教授、蜂のゲノム分析に詳しいイリノイ大学のロビンソン教授などが調査に乗り出しました。117にのぼる毒性物質がノースカロライナのローリーにある連邦州研究所に運び込まれもしました。
ところが結末は意外なところにあったのです。欧米では虫害対策の目的で作物の種子を、イミダクロプリドなどで処理していました。ネオニコテノイド系殺虫剤は浸透移行性殺虫剤として知られ、種子に付着した薬剤は、作物の成長とともに茎を伝い花まで移行してミツバチ等に影響を与えるとの疑いが生じました。フランス政府は、「狂蜂病」と呼ばれた病気の原因がイミダクロプリドにあるかもしれないとして、本剤によるヒマワリとトウモロコシの種子処理の登録を、90年代後半に抹消したのです。イミダクロブリドにはミツバチを殺す力はほとんどないのですが、ミツバチの方向感覚を狂わせ巣に帰れなくするらしいというのです。
私たちPCOが化学的防除の道具として普段に使うフェンチオンとイミダクロプリドの、標的外生物等への影響について、つい最近に起こった出来事について書きました。このような事例の解決にはひとつの国の行政機関だけでなく、国境を越えた連携が望まれる時代になっています。それこそこのシリーズ☆☆☆でお伝えしたオーランドプロトコールが目指す、生態系保護と化学防除の調和に配慮したIPMなのでしょう。