ジャック・ドラゴン(Cont「ibutor)
日本では殺虫剤が一般用医薬品(大衆薬:0TC)として扱われ、MHLW(Ministry of Health, Labour and Welfaxe :厚生労働省)が、その製造や販売を承認したり許可を与えたりすると話しますと、私の友人たちは皆一様に怪訝な顔をします。そもそも殺虫剤が医薬品ということが納得できないようです。そして必ず、なぜ医薬品なのかと聞かれます。
薬事法は医薬品を人又は動物の疾病の診断、治療又は予防に使用されるものと定めています。これを受けて、殺虫剤は”人や動物が病気(主として感染症)に罹らないように、病気を媒介するだろう昆虫類を防除し、結果として罹患を予防する”ものだから医薬品なのです。
このシリーズの主題は、IPMには殺虫剤等化学物質の利用が欠かせない、とするのが連載を始めた当初からの筆者の主張です。輸入食品や輸入米に残留したメタミドホス問題でかまびすしい昨今ですが、今回は今後どのように殺虫剤等を扱うべきかを、もう一度考えてみたいと思います。
承認と登録
私がよく存じ上げている日本の方で、殺虫剤開発にかなりの経験を積んだ人がいます。仮にITさんとします。そのITさんがあるとき、外資系企業の方から医薬品殺虫剤の承認と農薬の登録の違いについて訊かれたそうです。ITさんがメールで送った答えを見せてもらいましたが、これは彼の個人的な見解に相違ないとはいえ、私は大変興味深く読みました。ご参考までに、ITさんの許可を得て読者の皆さんにもご紹介しましょう。
PC様
登録と承認のこと、難しいご質問を頂戴しました。法制上の字義は、双方とも帳簿に載せるもしくは事実として認めるなどの意で、ことさらに大きな違いはないと思います。ではなぜ用語上の違いがあるかということについては、お役所の成り立ちに起因するのではないかと考えられています。
ご承知かと存じますが、厚生省(現厚生労働省)は内務省から出発しています。内務省は1873年に設立され1947年に廃止されるのですが、主として警察と選挙など地方行政にかかわるほか、厚生行政など国内の重要な各種規制に関する仕事が主務の最も重要な官庁のひとつでした。そして、その性質上お上が「下し置く」という精神が基本にあり、薬剤の規制ひとつをとっても、「承認」を与える(製造または販売を許す、官許)という、お役人( お上) が全てを仕切る形が、1938年の厚生省発足以降も残ってしまったようです。
一方、農林省 (現農林水産省)は1881年に農商務省としての設立です。こちらは、省の性格からして産業の振興が主務ですから、(農業の方は置くとして)商業は行政が強く後押ししたようです。それで、企業による自主的な商品の「登録」制度ができたと考えられます。農薬登録を3年ごとに登録メーカーが見直す(更新する) などの制度に、その考え方が現れていると思います。
いずれにせよこれらのことは日本だけの問題で、承認(approval,admission, permission) と登録(registration)の違いを海外の人たちに説明するのはとても難しいです。
IT拝
今どき厚生労働省が”下し置く”などあるはずはないのですが、いかにもITさんらしい皮肉っぽい回答です。
医薬部外品殺虫剤の適用範囲
さて平成18年に公布された改正薬事法は、3年度以内に施行すると決められており、今のところ平成21年6月10日をその期日としています。
改正法では、環境衛生用殺虫剤をリスク分類により第2類医薬品とし、薬剤師または登録販売者(注1)が取り扱う品目になります。一概に殺虫剤といっても、一般生活者が使う家庭用殺虫剤と我々PC0が専門的に利用する業務用殺虫剤があるわけですが、PCO向けも一般向けも単に包装容量が違うくらいで、双方の問には法律上の扱いになんら差はありません。そこで一部のPCOには、殺虫剤を扱う専門家としての立場から、より専門性の高い処方や剤型が欲しいという意見がありました。しかし今回の改正でも、残念ながらそのような希望を反映する方向は見受けられません。
※注1、薬事法改正に伴い一般用医薬品の販売を担う資格者。都道府県知事が資格試験を行い合格者を登録する。
筆者はこのような状況について、殺虫剤を医薬品と定める日本の法制度そのものについて考え直す必要があると思います。欧米各国の制度に見るように、防疫薬や農薬を一連のいわゆるぺスティサイド(注2)として、一括して登録するやり方が望ましいと思うのです。
※注2、pesticide:有害な小動物・虫や雑草・細菌など(pest)を殺す(-cide)薬剤をいう。
一例を挙げれば、今回の改正薬事法では、医薬部外品殺虫剤を「人又は動物の保健のためにするねずみ、はえ、蚊、のみその他これらに類する生物の防除の目的のために使用される物」と定めました。旧法にはこの箇所が「・・・・・はえ、蚊、のみ等の駆除又は防止」とされ、防除対象昆虫は、はえ、蚊等8種とするという内規がありました。ですから、これら8種の昆虫のうち1種でも防除する目的(薬事法では効能効果と呼ぶ)の物(殺虫剤などの製剤)は、薬事法下の販売承認が必須でした。これに対し、改正薬事法は8種の昆虫以外の生物でも、これらに類する生物の防除が目的なら、その製剤の販売承認が必要であると読めるのです。従来なら、厚労省の承認を必要としなかった、いわゆる生活害虫用殺虫剤についても、医薬部外品の枠内で一元的に管理する方向にあるのでしようか。
望ましい農薬取締法への一元化
衛生昆虫の防除を目的にする環境衛生用殺虫剤は、本来作物保護のための農薬として開発された化合物等の中から、人畜毒性が比較的低いものが選ばれてきました。加えてその製剤は”医薬品として”より安全性を高めることを目的に、殺虫剤等の成分濃度を、農薬のそれに比べきわめて低濃度に抑えることが習慣的に行われています。
農薬とは植物防疫の観点から、殺虫剤、殺菌剤および植物成長調節剤 (除草剤など)の総称です。農薬にはその性格上、作物に残留し施用した土壌に残留するほか、雨水等によって河川に流入して水質を汚染して水生生物に影響を与えるなどの懸念があります。また、花粉媒介昆虫やヤドリコバチ類など、農作物にとって有益な害虫の天敵生物に安全なことも必須用件です。このようなことから、ひとつの農薬が登録されるまでには、人畜への生涯毒性に関する調査はもとより、上述したような環境毒性についての膨大なデータの蓄積が要求されます。いま日本の農薬取締法は、その求める安全性評価の面で、世界レベルにあるといっても過言ではありません。しかもこの厳しい要求をクリアーした、安全性の高い新農薬がつぎつぎに開発されています。
また、市場が狭隘な医薬品殺虫剤の場合は、開発費の負担が難しくなっていて、新薬がなかなか開発されません。もし、環境衛生用殺虫剤を医薬品として扱うのでなく、農薬取締法に準じて登録できることになれば、この恩恵にもあずかれるというものです。
世界のPC0業界の趨勢がグリーン防除に向かっているとき、我が国のPCOにも環境保全に取り組む姿勢が強く求められています。農薬取締法に準じた環境衛生用殺虫剤等の一括管理には、以上申し上げたようなメリットがあり、人や環境への安全を考えるための得策となるでしょう。
半世紀ほど前までのアメリカのFDCA(注3)(連邦医薬品食品化粧品法)にデラニー・クローズと呼ばれる条項がありました。上院議員デラニー氏による法案「いかなる物質も発がん性のあるものは食品添加物とはなりえない」がそれです。この条文は食品に残留する作物由来の農薬類に、もし発がん性があるならその農薬は登録を抹消されるとする画期的なものでした。後に起こるDDVPの発がん性問題もこの条文が引き金でした。
日本には作物に残留する農薬類にポジティブリスト制度(本シリーズNo.7参照)と呼ばれる厳しい規制があります。また、農薬取締法は平成15年の改正時に、農薬使用者に厳しい責務と遵守義務を課しました。筆者が、殺虫剤等を農薬取締法のもとに一元規制することの妥当性を主張する背景はそこにもあるのです。PC0業界には、殺虫剤等の取り扱いについて、従来に増してきびしい眼が向けられています。業界が今後どのように対応するかによっても、殺虫剤等の方向付けが左右されることになるに違いありません。