ジャック・ドラゴン(Contributor)
この「もっと知りたいIPM」シリーズ☆2の中で、ラットキャッチャーがPCOの起こりだと書きました。この説は、当時ペンシルバニア州立大学の昆虫学教室教授をなさっていたボブ・スネジンジャーさんが、1983年に著わした「ザ・ラットキャッチャーズ・チャイルド」によるものでした。
著者は“The History of thePest Control Industry”(PCO業の由来)の副題がついたこの書で、ネズミを文字通り手掴みするラットキャッチャーと呼ばれた職業が、1850年代のロンドンに実在したと紹介します。それどころか、当時の英国女王陛下御用達の看板を掲げるものまで現れるようになり、立派なビジネスとして発展していたとも書いています。
しかしこれは防疫のためのネズミ捕りでは無く、英国人の大好きな“賭け”(テリヤ犬が時間内に何匹の生きたネズミを殺せるか)の対象としてのネズミ捕り屋ですから、ネズミを生きたまま捕まえる必要がありました。でも、最終的には犬に噛み殺させるので、間接的な防除活動に役立つものだったのかも知れません。
1900年代の中頃になると、ネズミ類を駆除するために毒性物質が利用されるようになります。急性的に作用する毒物が種々試みられますが、これらはネズミ以外の非標的生物への影響も大きく、生態系保全のためにもその使用がためらわれる様になります。そこへ登場するのが抗凝血剤です。なかでもワルファリンおよびその類縁化合物が盛んに使われるようになり、現在に至っています。その結果、今ではワルファリンなどに抵抗性を持つ系統のドブネズミやクマネズミなどが世界中で問題になっているのです。
初期の抗凝血剤に抵抗性を発達させた、いわゆるスーパーラットの出現です。欧米ではこの事象に対処するために、より効果の高い第2世代の抗凝血性殺鼠剤の開発に、早くから着手しました。日本でも抵抗性ネズミが問題になりだして随分になります。しかし、残念ながら第2世代の抗凝血剤については、今までに1剤だけしか導入されていません。
このような現状を踏まえ、日本における薬剤を用いる、ネズミ防除のIPMはどうあるべきかを、まずはアメリカの殺鼠剤事情を概観しながら考えてみたいと思います。
■ 殺鼠剤の仕掛け場所に50フィート規制
まずはアメリカの殺鼠剤規制について知っておく必要がありそうです。ドブネズミ、クマネズミおよびハツカネズミを総称して、家ねずみと呼ぶのはご承知の通りですが、これら家ねずみ対策に用いられる殺鼠剤は、人やペットなどにも有害となる場合があります。そこで、アメリカ環境保護庁(EPA)は2007年1月17日付の官報で、殺鼠剤使用時のリスク軽減に関するパブリック・コメント募集を行いました。
その結果ブロディファクム、ブロマジオロン、ブロメタリン、クロロファシノン、コレカルシフェロール、ジフェナクム、ジフェチアロン、ダイファシノン、ワルファリン、およびリン化亜鉛の計10成分に上る現有すべての殺鼠剤を使用規制つき農薬に指定したのです。(http://www.epa.gov/pesticides/reregistration/rodenticides/finalriskdecision.htm)
EPAの問いかけに民意は殺鼠剤のすべてを用法規制防除剤(RUP;Restricted Use Pesticide)に指定するよう求めました。「殺鼠剤を使用するIPM施工に関して」と題するこの改訂の要旨は、以下のようにまとめることができます。
- 環境に及ぼす影響(リスク)と環境衛生上のメリット(ベネフィット)を勘案し、リスク軽減措置をはかる。
- 第2世代抗凝血剤ブロディファクム、ブロマジオロンおよびジフェチアロンを含有するすべての製剤は、とくに非標的生物保護の観点から、訓練された有資格者のみが購入使用もしくは有資格者の監督下でのみ使用することができる。
- 幼小児や非標的生物による誤食等を防止するため、殺鼠剤の剤型はブロックベイト(固形剤)とし、タンパリング・レジスタント容器(いたずら防止のため鍵がかけられるベイトステーション)を用いて使用する。
この辺りの経緯はシリーズ☆8「続・IPMにおける殺虫剤についての考察」に書きましたから、覚えておられる方もいらっしゃるに違いありません。ところが問題はそのあとにありました。実は2008年にこの法律が施行されたあと、2011年には殺鼠剤の仕掛け場所を建築物(ビル)の周辺50フィート(約15m)以内に限る、という条項案が示されたのです。
さあ、これはPCOにとっての一大事です。
■50フィート規制が100フィートまで認められることに
当然のことながら、最初に動いたのはNPMA(全米ペストマネジメント協会)でした。ASPCRO(建築物ペストコントロール規制局協会)およびEPA(米国環境保護庁)と何度も会議を持ち、1年間を費やす極めて慎重な検討を行ったと伝えられます。
NPMAは随分と頑張ったのでしょう。その結果、ついに2012年2~4月にかけてEPAとの統一見解に達し、殺鼠剤規制の一部手直しが行なわれることになりました。
結論から申し上げるなら、殺鼠剤の使用を50フィート以内に限るとしていたのに対し、今回の改訂で2倍の100フィートまで使用を可とする緩和措置が採られることになったのです。こうしたNPMAの活躍を傘下のPCOらが諸手を挙げて歓迎しました。
具体的にはビルから100フィート(約30m)以内であれば殺鼠剤の使用が認められることになったのです。また、アメリカのPCOたちがこだわる周辺処理の重要性に鑑み、とくに鼠穴投入法による殺鼠剤の使用許可範囲を、大幅に拡大する方針が採られることにもなりました。検討のもとになった課題のいくつかを列挙すると、
- ビルのほかにも家住性ネズミ類が侵入しやすい構造物がある2011年当初の家ねずみ防除50フィート規制は、プロの防除業者らに毒餌を仕掛けるべき重要な箇所に仕掛けられないという、欠陥防除をもたらすことになったのです。例えばビルから50フィート以上離れた食品加工施設、貯蔵施設なども、重要な殺鼠剤の仕掛け場所であるほか、ビルから50フィート以上離れた港湾施設なども、同様に構築物は無くても家ねずみ類の生息場所になっている場合があるなどです。
これに対して、EPAは“ビル”という言葉の概念を、家ねずみ類に侵入されやすい“人工の構築物”と定義する方向をとることにしたのです。 - ダンプスター(大型ゴミ箱)やその他の生ごみ入れの集積場所について
EPAはいくつかの州や地方のごみの取り扱いについて調べたのです。その結果、ダンプスターなどは居住区からできるだけ離して設置することの定めや、営業施設から出る生ごみについても、たとえばイリノイ州保健省などは、ハエ類や同類の害虫管理のために、ビルから少なくとも50フィート以上はなれた場所への設置を義務付けるなどがありました。
■ まずベイトステーションの活用から
さて、肝心のネズミ類のIPM防除について考えましょう。家ねずみ類のIPM防除は、侵入防止を目的にする防鼠工事と、殺鼠剤や各種トラップを効果的に組み合わせです。冒頭で述べたスーパーラットへの対処は、やはり第2世代抗凝血剤の効果的な利用にかかるでしょう。つまり、ベイト・ステーションを用いた安全で効果的なIPM防除です。
ベイト・ステーションの使用目的には大きく2つの理由があります。ひとつは言うまでもなく、殺鼠剤の安全使用にかかわることで、幼小児の安全(誤食防止)のためと非標的生物(犬、猫などペット類を含む)の保護です。つまりステーションに設けられた穴の径よりも大きい動物は中に入ることができず、ステーション内にはベイトを固定するためのピンがあって、ネズミが毒餌を外へ持ち出せないような仕組みになっているのです。
2つ目は、実はこの方がステーションを使う大きな理由なのですが、ネズミは忌新性が強い動物で、住み慣れた環境に何らかの変化があると、体内で恐怖反応が生じ、これを避ける行動(草野、生活と環境、Vol.39 No.6)をとります。毒餌がねずみの生息環境に配置されるなどはその典型で、ベイト・ステーションを使って無毒餌に慣れさせれば、ネズミはそこに行けばかならず餌にありつけることを記憶します。無毒餌の減り方が一定になった頃に毒餌に切り替えれば、ネズミは毒餌も前餌と同様に喫食することが経験的に知られています。こうした毒餌の使い方ひとつをとっても、あなたがネズミIPM防除のプロフェッショナルであるか否かが判ろうというものです。
日本でもネズミ被害が増加し続けています(第7回ペストコントロール実態報告書、日本ペストコントロール協会、平成19年)。ところが殺鼠剤の市場規模がそれ程大きくないので、新規の第2世代殺鼠剤を開発できる、余裕のあるメーカーが出てこないと聞きます。
ならば、日本ペストコントロール協会などが、新しい第2世代抗凝血剤の必要性と開発促進への配慮を、厚生行政に働きかけるなどもひとつの考え方でしょう。そのときは、是非、米国における殺鼠剤規制のあり方なども充分に参考にされるべきでしょう。