名和昆虫博物館 名和哲夫
今回は、ちょっと一息入れる意味で、当博物館に寄せられた質問の中で、首をかしげるような珍質問をご紹介します。害虫対策に関わってみえる方々には直接関係のない話になってしまうかもしれませんが、一般の人々の感覚がどのレベルかということを知っていただくのには役に立つのではないかと思います。コーヒータイムのつもりでお付き合いください。
自宅にタランチュラが………
「どうしたらいいのか分からないので、お電話しました。」
声の感じから60代くらいの女性からの質問でした。
「家の中にタランチュラがいるんです。」
いきなりの断定的告白に思わず聞き返してしまいました。
「タランチュラですか?」
「そうです。でっかいクモ。昨日の夜、部屋の天井近くの壁を歩いていたの。」
「はあ。」
「怖くなって息子を呼びに行っている間にいなくなってたの。いつ出てくるかと心配で、心配で………。」
「タランチュラって、あの映画などでもよく毒グモとして登場するあれですか?」
どう答えたらいいかを考える時間を稼ぐため
に、間の抜けた聞き返しをしてしまいました。
「そう。あのでっかいクモいるじゃないですか。きっと、誰かが飼っていたものが逃げ出したんだと思うわ。」
とそのご婦人はあくまで言い張るのです。
皆さんは、この流れから何を想像されるでしょうか?
タランチュラ?の正体は?
実物を見ることなしに、質問の主の形容からその虫の種類を言い当てるのは非常に難しいことで、断定でもしようものなら、とんでもない間違いを犯す可能性があります。実物を見たって、自分が得意とする分野の虫であればまだしも、すぐにわかるものなど非常にわずかです。一目見て、これは○○に違いないと思っても、その場で答えずに一度図鑑で確かめてから答えるべきです。実際、初見で思った種と違っていたことも少なくなく、確認してよかったと思うことが多々あります。 ましてや今回は、電話の向こうで逃げてしまってその場にいないクモの話です。質問者の記憶に頼った形容で断定するのは全く無謀な話です。
ただ、今回の場合、私の頭の中に確信に近いクモの名前が頭に浮かんでいました。それもタランチュラという名を聞いた時点で………。ここまでの話を読んで、私と同じことを思われた方も少なくないでしょう。
「あのー、それはタランチュラじゃないかもしれません。」
「え? でもテレビなどで見たタランチュラにそっくりだったわ。」
「電話では断定できませんが、それはきっとアシダカグモじゃないかと思います。」
「え? アシダカグモ? 何?それ。そんなクモいるの?」
この時点で、ほぼアシダカグモに違いないと確信しました。
「人間の住居を主な棲息場所にしている徘徊性のクモで、家の中にいる虫などを食べて生きています。」
「そんなクモ、今まで一度も見たことがなかったわ。」
「都会の家屋ではそれほど目立たないかもしれませんが、田舎の家ではよく目にすると思います。夜行性なのであまり目につかないかもしれませんが、都会の住居でも棲息しています。」
「それは人間に危害を加えないの?毒はないの?」
「人間を襲うなんてことは聞いたこともありません。姿は気持ち悪いかもしれませんが、ゴキブリなんかも食べてくれていいやつですよ。」
ここまで聞いてもまだタランチュラ説を捨てきれない様子でしたので、
「仮に万一タランチュラだったとしても映画などの印象と違って、毒性は低く、好んで向こうから襲ってくることはないと聞いています。」
こんなやりとりが10分以上続いた後、なんとか納得して電話を切ってもらえました。
質問地獄
当博物館では、一般の方からの質問は、入館者のみお受けすることになっています。原則電話での質問はお受けしないことにしているのです。しかし、このようにおびえてみえるなど不安で困っているというような方の場合、ほおっておくのも気の毒ですし、虫たちの名誉のためにもわかる範囲で説明してしまうことがよくあります。本来公的な機関がこのような役割を受け持ってくれるとありがたいのですが、なかなかそのような受け皿がないようです。何より、当博物館は公立と思われがちで、気軽に電話で質問される方が少なくありません。それどころか、形式的に断ろうものなら、「博物館のくせに」という感じで反感を買いかねません。
虫に関する質問は、平均で一日2、3件くらいあり、多い時は5件を超えることも珍しくありません。内容は今回のような恐怖を感じるなど切実なものから、急に思いついた疑問、意味不明な質問、小さなお子さんからの素朴な質問、まじめに研究している人からの質問など多種多様で、すべて取りあげて細かく対応していると、膨大な時間を費やすことになり、運営上大変大きな障害となってしまいます。自主運営をしている当博物館にとって「質問は入館者に限る」というルールは、職員の仕事の時間を確保するために必要なことなのです。
コノハチョウを採った!?
「つかぬことをお聞きしますが………」
10月に入った頃、その電話はこのような前置きで始まりました。
「私は、愛媛県で中学の教員をしている者ですが、生徒たちが校庭の隅の木の下でコノハチョウを採りました。」
これまた断定的な始まりです。
「コノハチョウですか?」
この先生の自信は、どこまで裏付けがあっておっしゃっているのか、探りの時間を稼ぐため反芻してみました。
「そうです。これは珍しいことではありませんか?」
珍しいかどうかというところまで進んでしまうと元に戻れなくなってしまうといけないので、もう一度確かめました。
「それは、コノハチョウであるということは確かなんですか?」
「図鑑などで調べましたが、コノハチョウで間違いはないと思います。」
「どなたか、チョウを趣味としている人などにお聞きになりましたか?」
「いや、そこまではしていませんが、みんなで調べてみたので間違いはないと思います。」
ここまで自信たっぷりに言われると、私の確信も少し揺らいできます。鹿児島県の沖永良部島にまでは分布するコノハチョウが、四国まで迷蝶として飛んでくるかなあ、聞いたことないなあ、と心の中でつぶやきながら、
「確かにコノハチョウが四国で採集できたとなれば、珍しいことですね。ただ、もう一つ確認させてもらっていいですか?」
と前置きして、
「そのチョウの頭から突起のようなものが出てませんか?」
「あります。」
「その先端は、まっすぐ尖っていますか?それともくるっと上の方に丸まったように終わっていますか?」
「ちょっと待ってください。今見ますから………。」
しばらくして、
「丸まった感じです。」
ここにきて確信を得た私は、
「それはコノハチョウではなく、きっとアケビコノハというガです。」
「えっ!コノハチョウじゃないんですか? ガですか?」
「電話ですから、断定できませんが、一度インターネットなどでアケビコノハの画像を調べてみて下さい。」
すると、すぐに調べられたようで、
「これです!」
アケビコノハをコノハチョウと間違える質問電話は、ここ最近、立て続けに3例ありました。我々スタッフとしては、「どうしてこの2種類が同じに見えるの?」と首をかしげるばかりですが、実物を見たり触ったりしていない人には、虫の区別は大変難しいようです。