ジャック・ドラゴン(Contributor)
日本ペストコントロール協会(日ペ)設立40周年おめでとうございます。11月に有楽町の東京フォーラムで開催の第20回FAOPMA(アジア・オセアニア有害生物管理連合)大会は、日ペ40周年記念行事の一環として開かれるとお聞きします。日ペはFAOPMAの設立に深くかかわり、そのリーダーとして活動してきたわけですから、記念すべき第20回大会を東京で開催する意義はとても大きいものといえましょう。
大会のテーマ「未来の害虫管理のプロフェッショナルへ」も、日本のPSO業界の明日への期待がひしひしと伝わるようで、まことに時宜を得たテーマと思います。この大会開催に大きく尽力されている、鯛会長須田さん(日ペ協会長)のご努力に心から敬意を表します。
今大会のゲストスピーカーのひとりに、NPMA(全米PMP協会)専務理事レダラーさんがおられますが、彼が就任早々に打ち出した方針がPMP業の将来像を描く、Shaping(シェイピング) Your(ユア) Destiny(デスティニー)(明日に備える)であったことを思いだしました。いよいよ日本のPCO業界も大きな変革のときを迎えたと感じないわけにはいきません。
「シェイピングユァデスティニー」は2002年のNPMA大会テーマにもなりました。鵬図商事の要請で、氏の手になる原稿「あした煮備える─PC業界戦略案」が程なく同社に届けられました。鵬図商事はこれをHOHTO PMP NOWS誌02年9月号、Vol.260に収載しました。40周年大会を迎えるに際し、ぜひ一読なさるようお勧めします。
75周年を祝うアメリカのNPMA
アメリカのPCO業は1933年に組織的な展開を見せます。ビル・ブトナー氏が主だったメンバーをワシントンD.Cに集めて協会を設立し、自ら初代会長に就任しました。そのとき集まったのは、住宅くん蒸業者がたったの50人だけだったそうです。それが今では年次大会に4000人を超える参加があるまでに発展したのです。
その後もアメリカPCO業界は着々と発展を重ねます。しかしその裏には、防除技術だけの比較においても、業者間に大きな格差がありました。NPMAは行政とのよい関係作りに励み、総力を挙げて行政に協力して、個々の企業の技術のみならず経営ならびに広報など全般にわたる指標作りを進め、産業基盤を築き上げる努力を傾注したのです。そのもとになるのが会員数の拡大と、主として技術集団としての組織固めだったのです。
そして75周年を迎える今年の大会は、第1回にちなんでワシントンD.Cで開かれます。NPMAのホームページには今大会のプログラムが案内されていますから、お読みになった方もいらっしゃると存じますが、「アメリカのPMPも、とうとうここまで来たぞ」という自信と感慨に満ちたものになるようです。折からあれだけ接戦を極めた世簿選挙を終え、大統領選挙の投票日が近づくなか、NPMA協会の与党への思い入れが濃い年次大会になるでしょう。
75周年を祝うために、大会高齢のファイナルバンケット(大会最終日の夕餐。業界結束のために参加や全員が一緒に食事しダンスに興じる)のドレスコードは、久方ぶりの“ブラック・タイ”です。一堂に会する人たちが礼服に身を固めての、盛大な正餐とダンスパーティーでPMP産業の安定的な発展を祝うのです。
オペレーターからプロフェッショナルへの転機
さて、レダラーさんが96年に専務理事に招かれるやいなや抜本的改革が進み、NPMAの運営は一転して黒字に転換します。まず手始めに、年次大会を「ペストマネジメント」と呼ぶことにしました。言うならば器を新しくしたのです。PCOはその時点で、それまでの“殺虫剤の撒きや”(オペレーター)から“害虫マネジメント(管理)のプロフェッショナル”(専門職)・PMPへと大変身を遂げます。そしていよいよIPM時代の到来です。
その間、PCOは製造業やオフィスの害虫管理に飽き足らず、個人家庭の衛生管理全般に進出することで市場を拡大して行きました。PCOは普遍的な高度な技術と信頼できる経営姿勢により、本当の意味の社会的な認知を受けることができるようになったのです。それまでアメリカにおけるPCOの社会的地位は、このシリーズの☆☆(06年7月号、Vol.283)で申し上げたように、残念ながらきわめて低いものでした。
PMPの社会性をさらに高めようと、NPMAが03年に提唱した「クオリティプロ」政策があります。消費者が求めるガイダンスに、業界傘下の個々の企業はどのように応えるかを問うという試みです。質の高い業者になるために、アメリカの防除業経営者にはこれまで以上に高いハードルが課せられたのです。良質な防除業経営を目指してさらに努力が重ねられました。とはいえ、このクオリティプロに認定されるためには一定の研修が課されることもあって、まだまだその数は限られています。年次大会では、その年にクオリティプロに認定されたPMPが紹介されます。名前を呼ばれ壇上に登る経営者たちの誇らしげな顔は輝いて見えるほどです。認定を得ることができれば、それこそ本物のプロが誕生することになり、地域住民からの信頼も厚くなろうというものです。そして今、時代はゴーイング・グリーン(環境保全型防除)」へと向かいます。(HOHTO PMP NEWS 08年7月号 Vol.295号 「グリーン防除」参照)
今年の1月には日本でも厚生労働省が建築物環境衛生維持管理要領を改訂通知したことを知りました。日本の業界もいよいよ本格的なIPM時代に入るわけです。アメリカではEPA(環境保護庁)はもとよりFDA(食品医薬品庁)なども、IPMを基本においた各種の法制化を進めています。日本の衛生行政も大筋ではいずれこれに習うことになるでしょう。
PCOが地域密着の理由
近着のPCT誌5月号は2007年度アメリカPMPトップ企業100社売り上げランキングを特集しました。1位はターミニックスインタナショナルの1,097百万ドル(約1200億円)で、以下オーキン、エコラボ、エーリック/レンと切る、ホームチームディフェンス、クラークペストコントロールオブストックトン、そしてウエスタンエクスターミネーターカンパニーと7社までの順位は06年と変わりません。買収と合併を重ねるアメリカのPMP業界ですから、名前が変わった会社もありますが、売上高にはさほどの変化が見受けられません。
いずれにせよこの産業グループを構成するひとつひとつの企業の大部分は、オペレーターが2~3人と、日本のPCO業者の多くとほとんど同じ規模なのです。ちなみに100位にランクされているのは、アメリカでもあまりなじみの無いヘロンローンアンドペストコントロールという会社で、売上は440万ドル(4億8千万円)でした。
少ないオペレーターで地域にがっちり食い込む。これがアメリカ的PMPの典型でしょう。しかし、地域住民の環境衛生を司る地域密着型の企業が住民に好まれる、と言うのも理由のひとつにあげられています。一般的な害虫駆除から、アメリカの家ならどこにもある前庭の芝生管理までと幅広いサービスが提供されるので、手近な地域に密着した業者が選ばれるのが妥当ということでしょうか。いったん新興・再興感染症の流行などがあれば、地域衛生研究所などとの共同作戦が必至なPCOにとって、地域密着は欠かせない条件なのだと思います。
日本のPCO産業に貢献した先人たち
起こるかもしれない鳥インフルエンザのパンデミックやウエストナイル熱など感染症発生時の緊急出動、市街化河川のユスリカ対策やごみ処理場の発生源対策・公庭園の樹木害虫対策など、市街化が進む日本社会で、のカバー範囲はきわめて多岐にわたることになるでしょう。地域密着型のPCOが望まれ、その責任も大きくなりそうです。
日本のPCOには施工技術をより涵養し、地域環境衛生の担い手として地域衛生研究所等とさらに連携して、社会密着型の経営を志向してほしいと思います。また、その過程なり結果なりを適切な手段で広報する活動をどうか定着させてください。
話が前後しますが、いまから40年前に日本のPCO産業の基盤作りを目指す一握りの集団がありました。社会的なPCO産業の重要性の普及と、社会的認知から生まれる信頼関係の醸成が組織作りの目的でした。「日本害虫防除(P.C.O.)連合会」にはせ参じた先駆者を知るのも意義あることではないでしょうか。
協会設立40周年を迎えるとき、日本のPCO産業はこの大会を機に、一層の発展期に入るのでしょう。
日本害虫防除(P.C.O.)連合会 会員名簿(1969年2月15日)
アイワ消毒・株(清水克恭)、アベックス産業・株(元木三喜男)、朝日サニター・株(宮沢 宏)、朝日消毒社(林 庄一)、東化研・株(田村 博)、尼崎油化・株(油野友次)、イカリ消毒・株(黒澤聡樹)、イカリ消毒・株大阪営業所(黒澤 敬)、イハラグリーン(山本森俊)、合・鈴木商店(田中政信)、エスロン害虫消毒(岡田金之助)、S.P.H.(植木慎一)、栄和化学工興・株(三坂栄一)、大阪煙霧消毒社(樋泉福一)、大阪防疫協会(辻野直三郎)、大淀化工・株(半井文雄)、香川県防疫資材・株(中山正幸)、財・環境衛生協会(加藤栄二)、株・環境衛生サービスセンター大阪(土山健徳)、同東京(玉田照男)、キル・カバー製薬・株(山本高顕)、同東京(古垣幸作)、木谷薬品工業(木谷 寛)、九州消毒・株(草野 彰)、協心消毒社(高梨房雄)、京都保健衛生協会(天野兼吉)、京浜化工・株(柏木進一)、神戸害虫駆除所(高貴茂義)、光信消毒化学研究所(鈴木昌造)、国際衛生・株(三林孝由)、国際ビルサービス・株(鳥谷虎雄)、株・サニーサニター(中郡雄次)、株・サニター(松尾大邑)、三共消毒社(小川徳松)、三昌興産・株(板垣悦与)、三色薬品工業・株(安藤 均)、三洋化工・株(田中正郎)、三洋特殊化成工業・株(友方邦彦)、三和商事・株(佐藤 治)、信濃化工商事(武居要佑)、下関船舶消毒・株(望月守男)、住宅ケンコウ社(猪俣正夫)、昭和興産・株(近藤圭吾)、株・信栄(広瀬忠晴)、新耕産業・株(中村準佑)、株・浄美社(滋野正雄)、セントラル商事・株(浜口精男)、西部衛生保全協会(榛葉昌宏)、仙台湾燻蒸・株(高田哲雄)、大洋化工・株(安川与八)、同(田上易利)、同(西島 威)、第一消毒薬品(谷川 隆)、チヨダ消毒化学研究所(安田吉宣)、千代田実業・株(羽鳥勝次郎)、中央社・株(豊田清七)、中国衛材・株(仲 一郎)、帝装化成・株(吉田種夫)、株・トーシン(中村 徹)、有・戸田組清掃(戸田平馬)、東栄産業・株(戸川為蔵)、東京三洋・有(紅谷 敦)、東京白蟻・株(十河武雄)、東京保健衛生社(毛利源治)、東信化工・株(中村佳永子)、東都防疫(藤森重己)、株・東洋衛生研究所(田中増治)、東洋化工・株(山口柳三)、東洋燻蒸・株(宇尾五郎)、東洋商事・株(田畑治義)、豊化商事・株(川瀬武雄)、中野防疫・有(森田武蔵)、中村化学工業・株(亀崎初蔵)、同大阪(岡山隆志)、新潟富士薬品・株(伏見寿夫)、日栄商工(末未博重)、日本環境衛生・株(湯沢勉時)、日本サニタ・株(本間昭一)、日本サニタリー・株(大田良一)、日本消毒社(金子徳三郎)、沼田衛生社(加藤 秋)、博美化学・株(矢野清七)、阪神器化学(坂野 登)、日の出商会(坂和一郎)、姫路食品衛生管理事務所(阿部 寿)、兵庫消毒社(浅田保治)、広島県薬業・株(吉村政儀)、ビル代行茨城営業所(田辺朝熙)、富士消毒化学研究所(鈴木信吾)、防鼠防虫研究所(林 滋男)、北海衛生燻蒸・株(鈴木勇三)、北陽産業(松下整吉)、丸栄産業・株(桑野太郎)、丸真興業・株(槇島和雄)、三ツ星工業・株(山田絃二郎)、みくに消毒化学・株(坂井清六)、みくに消毒所(大森靖男)、ミナト消毒・株(辰巳幸雄)、村伊商事(志治 清)、森山寄生虫研究所(森山海一)、大和工成・株(上村 募)、山口県薬業・株(谷岡一人)、山手消毒社(田中吉之助)、友清化学工業白蟻研究所(友清重美)、吉田消毒研究所(吉田鉠二)、理研化学(岩崎景安)
以上、設立発起人ともいうべき106人のお名前を敬称略で記録した