兵庫県立大学自然・環境科学研究所 / 兵庫県立人と自然の博物館 山内健生
マダニ(写真1)は、哺乳類、鳥類、爬虫類に喰いついて吸血する大型のダニで、日本では46種が知られています。幼虫の体長は1mm弱と小さいのですが,成虫では4mm以上となり、肉眼ではっきり認識できます。さらに、雌成虫が吸血すると黒豆のように膨らみ、体長が30mmに達する種も存在します。
写真1 葉の裏に潜むマダニ
2013年1月以降、重症熱性血小板減少症候群(略してSFTS)というマダニ媒介感染症がテレビや新聞などに大きく取り上げられています。この病気には特効薬やワクチンが存在しないため、たいへん恐れられています。通常はマダニに血を吸われてもたいしたことにはならないのですが、低い確率で病原体を媒介される場合があるのです。肌に喰いついて血を吸うだけでも不愉快極まりないのに、病原体を媒介するだなんて、とんでもない生物ですね。
マダニ媒介感染症について調べるためには、マダニをたくさん採集する必要があります。では、どのような方法を使うとマダニを効率よく採集できるのでしょうか。私は、子供の頃から虫好きで、いろいろな虫を採集して喜んでいましたが、マダニを採ったことはありませんでした。畜産学科に在籍していた大学4年生の時、マダニの研究をしていた先輩に放牧場へ連れていってもらい、初めてマダニ採集を体験しました。この時使ったのは、地表を引きずるタイプの白布(写真2)でした。
写真2 白布を用いたマダニ採集(その1)
風でめくれないよう、2つの隅に鉛が縫い込まれているものです。放牧場に入り、白布を数m引きずってから裏返して見ると、濃い茶色をしたフタトゲチマダニが付着していました。このような単純な方法で、面白いようにマダニを採集することができました。昆虫採集にはそれなりに詳しかった私ですが、この採集方法を知った時は目から鱗が落ちました。マダニは、植物上や地表で前脚を持ち上げて待機し、吸血源となる動物が通るのを待っています。ですので、山林の地表や草を柔らかい白布で触れながら歩くと、そのようなマダニが布に接触し、付着します。だから、白布を引きずることでマダニを容易に採集できるのです。この方法を使うと、季節を問わず誰でも簡単にマダニを集めることができます。なお、布が湿ると採集効率が下がるので、雨の日は調査に向きません。低木などといった障害物の多い場所や起伏のある地形では、白布に棒を取り付けて旗状にして用いると便利です(写真3)。
写真3 白布を用いたマダニ採集(その2)
私は、当初は卒業研究のために仕方なくマダニ採集をしていたのですが、しばらくするとマダニ採集の面白さにはまりました。行ったことのない場所や調べたことのない季節でどんなマダニが採れるのか、考えただけでワクワクします。これまで誰も調査したことのない愛媛県の小さな島で調査した際には、その日最後の船が出航する直前まで夢中でマダニを採集してしまいました。慌てて港へ走り、岸を離れて動き始めた船へ漫画のようにジャンプして飛び乗ったのでした。
私は、マダニ採集をしていて他人から悪く言われたことは一度もありません。マダニ採集の良い点の一つは、たくさんマダニを採集しても一般の方から咎められることがないことです。西表島でマダニ採集をしていた際には、白布を持った私の姿を見た地元の屈強なお兄さんから「お前、クワガタムシを採っているんじゃないだろうな?」と激しい剣幕で言われたことがあります。「違います。マダニの調査をしているんです」と言って、採集したマダニを恐る恐る見せると、それまでとは打って変わって優しい口調で「ご苦労様です。島民の安全のため、どんどん調査をしてください」と激励の言葉をいただきました。
とはいえ、マダニ採集は楽しいことばかりではありません。九州の某所では面白いようにマダニが採れましたので、私は当時住んでいた富山県の自宅へ上機嫌で戻りました。数日後、入浴中に自分の大切な部分を触ると、何やら妙な感触がありました。異物がくっついているようです。おやっと思って鏡を使ってよく見てみると、私の大切な部分に4mm程度のマダニが喰いついていました。さらに詳しく調べたところ、それはタカサゴキララマダニの若虫でした。タカサゴキララマダニは、九州では普通に見られますが富山県ではほとんど採れない種です。そのため、九州での調査の際に喰いつかれたと考えられます。マダニ類は、吸血の際に痛みや痒みを感じさせなくする成分を分泌します。私は、マダニに喰いつかれたことに気づかないまま、九州から富山県までマダニを運んできてしまったのでした。マダニが多い場所で調査をする際には、忌避剤を衣服や靴にふりかけるなどしてマダニの寄生に備えることが大切です。
私はすっかりマダニ採集の魅力に取り付かれてしまい、10年以上に渡ってマダニ採集を続けています。先日、マダニ採集の面白さを妻にも知ってもらおうと、新婚の妻をマダニ採集に連れて行きました。調査地では、妻に長靴を履かせ、プロの研究者に混じって山へ分け入り、本格的なマダニ採集を体験してもらいました。私自身は満足だったのですが、帰宅後、妻から「マダニ採集にはもう行きたくない」と言われてしまいました。マダニ採集を楽しいと思うかどうかは、人それぞれのようです。
山内健生
1976年、広島市生まれ。
兵庫県立大学と兵庫県立人と自然の博物館で、虫に関する研究と教育普及活動に従事している。
純粋な生物学のみならず、虫に関する歴史や文化にも関心がある。
著書に『ダニのはなし―人間との関わり―』(朝倉書店)、『日本産蛾類標準図鑑3』(学研)などがある。
http://www.hitohaku.jp/researchers/yamauchi.html